2005年10月04日

ドスマキとは何か

 もとより露骨な差別語である。ドスマキとは,東北地方を中心とする東国で言うのだと思う。「まき」とは「まけ」とも言う。血筋のような意味。茨城弁にも残存。北九州あたりでも言うらしい。
 野坂昭如「マイ・ミクスチュア」には父親の好色の「まけ」を気にする女主人公が出てくる。淫蕩の血を恐れるといえば「蕃婦ロポウの話」等「蕃地もの」小説の坂口レイ子。彼女の母方は一方で,八代近辺,さる沖縄からのエキソダスの伝承を持つ部落の出と言う。吉田司「夜の食国」にエビス様と仮名されているのがそれか。
 ゴロマキ,もしくはゴロをまくというと喧嘩のこと,ドスという語感からもつい連想してしまうが関係はない。

 話がそれた。
 ドスは癩のことである。仙台の広瀬川沿に愛子という隠れ切支丹の伝承を持つ集落があるが,そこを揶揄した里謡に

 愛子百軒、ドス九十九軒、残る1軒駐在所

 というものがあるそうである(萬なスクラップ)。

 癩病,ハンセン病が癩菌によるものと知られない時代,癩菌の感染力は弱くとも,不十分な栄養,不衛生な家庭生活で起居を伴にする近親者同士が感染する確率は他家の者よりも高く,一家より連続して患者の出れば世人はこれを血によって受け継がれるものとみなし,また家にかつて例なきにもかかわらず突発的に発症する者は家人はこれを劣血の譏りを免れるため,前世の業の報いた天刑によるものとみなした。いずれにせよ家の不名誉であることには間違いはなく,科学的知識の欠如と身体欠損の顕著な特徴から,患者は早晩大小の差こそあれ人外の扱いを受け,閉居に甘んじるか,後生を頼んで巡礼の路にさすらうことを余儀なくされたのである。四国八十八カ所には殊に癩者の行人多く,また宮本常一によれば癩者は癩者の道が人通わぬ山中にあったという。
 かたい。この言葉は「ふるさとは遠きにありて」の詩で知られるよう,乞食,ほいとにも転用される。道の片側に居て物乞いをするからという説。かたゐであるから片輪に通じるのかもしれない。強めてかったいという。
 なお,現代中国語でいうと,阿Q正伝で「癩」の字は阿Qの特質として何度も出てくるがこれは「はげ」と訓ぜられている。

 韓国ではハンセン患者はムンドゥンイと呼ばれやはり人外の扱いを受け,時に流浪や隔離生活を強いられた。ムンドゥンイのさまを活写した仮面劇も有名である。
 沖縄でも伝統的に差別視され,諸処で迫害を受けた末,屋我地島に安住の地を得た青木恵哉の受難の旅は,ものの200年もあればバイブルにあらたな預言書伝説書の一章を加えるのに十分である。屋部では定住を嫌う住民による焼き討ちに遭い,羽地内海に浮かぶ何十畳かの小島(というより岩)ジャルマで半年間,水もなく朝夕人目を忍んで欠けた四肢で小舟を駆って本土に渡り水を汲むという極限の生活を強いられた。

<2005.12追記>
西表信「南島昭和誌」によれば,八重山においては登野城と真栄里の中間あたりの海浜近くに施設のようなものがあり,アガリグヤのクンキャー村と称していた。クンキャーとは方言でハンセン病患者を差す。人々はアオサとりに近くの海浜に磯へいく際,必ず食べ物や古着を持参し,近くの路傍にそっとおいていく習わしがあった。患者達が埋葬された死馬牛を掘り起こして食べたという話も伝わっている。(この噂は事実無根ということもありうるとは思う) 患者達は死んでも先祖の墓には入れてもらえず,その辺りの洞窟に捨て置かれたり,墓地の外部に埋められたりするのが常であったという。

<2006.1追記>
 野坂昭如「心中志願」に「家は行かずごけのまけらしいわ」と血筋を指している。
 野坂昭如「死屍河原水子草」では,閉鎖的な貧農部落が近親結婚で先天性奇形児が生まれることから,隣村からハンセン病と疑われドスマキと称される。
posted by kotoh at 01:39| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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